第2回定例会での一般質問

一般質問 (6月11日)

小泉質問

通告に基づき質問いたします。

昨日の区長の区議会招集挨拶をお聞きし、失礼ながら、大変失望いたしました。

新型コロナウイルス感染で、区民、地域が大変な状況に陥っている中で、世田谷区の責任者としてどのような思いを持ち、地域を運営されていくのか、お聞きしたかったのですが、区長からは、個別の事業の説明だけでした。

区民がこの時期に、個別の事業の内容を聞きたいと思っている、と区長はお考えなのでしょうか。

 

350年前、17世紀のペストの流行で、人口50万のうちおよそ6分の1の8万人がなくなったロンドンのまちを描いたドキュメンタリーを、先日読みました。

市内のあらゆる場所で次々に人が亡くなり、裕福な人々は脱出し、おびただしい数の召使い、職人など労働者の人々が仕事も家も失い、悲惨極まる境遇に陥ったのです。

パンデミックの恐ろしさは、現代にもつながるものです。

しかし、少し異なる、当時のロンドン市当局の姿勢でした。

当局は、

「わたしたち一同は当市を離れず、市内のあらゆる場所で秩序を保ち、いかなる時にも正義が行われるよう、常に全力を注ぐ構えです。生活に困っている方々の救援にも全力を尽くします。私たちは職責を全うし、市民の皆さんから負託されている任務に精一杯励みます」と宣言されました。

そして、

「市長と州長官はたえず街頭に立って、最も危険な地域にも足を運び」市民に安心感を与え、商品の流通に全力を注いだのです。

その結果、市民の6分の1が亡くなるという惨禍にあっても、「パンはいつでも豊富にあり、普段と変わらない安価で手に入った」し、市内の秩序は保たれたというのです。

ロンドン市民は、つまり、市当局を信頼できたということなのです。

うらやましい、その一言です。

かたや、一国の総理大臣が、記者会見で「みんなで前を向いて頑張れば、きっと、現在のこの困難も乗り越えることができる」と言い、「みんな」とは誰の事か、「きっと」とは、いつのことか、この責任者はだれと聞かずにはいられない、という状況であり、社会の進歩とは何なのだろうか、と思わずにはいられません。

区長は、90万を超える大都市の責任者です。

その責任者が何をされようとしているのか、全く見えません。

区長として、今の世田谷に、事業者に、そして区民にお話したいということがあれば、ここで、お伺いすることと致します。

 

「新しい生活様式」「新しい日常」について伺います。

私は、誤解を恐れずに申すならば、国や自治体が、住民の生活様式や日常生活の在り方に物申すのは、非常に問題だと考えます。

本来、自由であらねばならないことに、「新しい」という言葉を付けて、新しい風潮のごときものを、はやらせていこうとはとんでもないことです。

「新しい生活様式」は名前がおかしい、誰が考えても、「当面守っていただく生活ルール」というべきです。

あくまでも「当面」です。

都は、広報誌において、「新しい日常」の定着を言われます。

2メートルの距離を保つことが日常なのでしょうか、違います。

まさに異常状態です。

私たちは、自粛要請によって、知らず知らず行動と意識を変えてきているのです。

人が近づけば距離を意識し、かつての写真や映像を見れば「密」だと感じてしまう。

感染予防のために必要なその感覚は、いざ正常状態が回復し、人との関係を結び直そうとするときには、阻害要因となります。

「新しい生活様式」が「異常」ではなく「普通の事」と思ってしまうことの恐ろしさを国はわかっているのでしょうか

言葉は独り歩きします。それが社会の進歩につながることもあるし、逆になることもある。

「新しい生活様式」の後、「新しい日常」の後に、巣籠生活から、本来の、「本当の日常生活」が取り戻せるか、が問題なのです。

このコロナで、貧富の格差が広がっていく、とも言われます。

さらに問題は、行動力の格差が広がってしまうこと、高齢者などは、このコロナを機会に、活動を取りやめてしまう、このようなお話も多く、結局、地域の共同体が壊れていくのです。

「自粛」が「委縮」につながっていく、このことを区が明確に意識し、総合的な解決への道筋、本来の「自由で楽しい地域生活」につながる道筋を明らかにすべきです。

その希望があれば、今の条件を皆、耐えられるはずです。

区は、目の前の「新しい日常」にとらわれない、「新たな地域の姿と安心できる生活」、そしてそれに至る道筋を明らかにすべきです

お考えを伺います。

 

3密対策について伺います。

今回の区の対応は非常に疑問です。

職員は3密回避なのに、区民は3密の中に取り残されています。

支所の窓口が大混雑しているから、他から応援するすべはないかと聞くと、他職場は、在宅勤務なので、人がいませんと言うのです。

5月20日付の区の、各部長へ向けての依命通達で、「職員の体調管理を最優先に業務態勢や執務環境を適切に整えること」という指示を出されていますが、この通達の中には、区民に対する配慮の言葉は一切ありませんでした。

その結果か、窓口での区民の3密状態の解消は全く不十分です。

これまでの区が、事務、窓口を集中させようとする根本的なところに問題があるのです。

職員は3密を避けるための「在宅勤務」を行う、とされながら、区民へは、「在宅窓口」があるわけではない、窓口で2時間も待つ、ということについて、なんら組織的な改善が図られない。

一方で、この間、地区のまちづくりセンターは、全くなんの役割も果たしていない、区民に全く頼りにされていない、だから在宅勤務ができている、という現実を直視するべきです。

地域行政の理念を本庁の机の上で考えているからです。

区民不在です。

地区の区民生活を中心とした地域行政の抜本的な見直しを求めます。

お考えを伺います。

 

私たちは、二度と再びコロナ前の生活には戻れません。それは、地域のみならず、行政にこそ言えることです。

つまり、必要なことは「新しい生活様式」ではなく、「新しい行政様式」なのです。

本庁舎問題について、なぜ、あの規模が必要か、と伺うと、職員の働く面積が狭すぎる、ということだけを言われます。

担当として、地域行政の理念ということに全く理解を示さない、大きな問題です。

区民は、地元の窓口へ行けば、行政関係の用事は全部済ますことができる、これが望まれる姿です。

コロナを経験した私たちが次の時代に恥じることのないよう、本庁舎の在り方そのものを見直すべきです。

お考えを伺います。

 

区長は、行革の流れで区内に3か所あった保健所が整理統合され一か所になった、という発言をされました。

区長が、個人的に自らの情報伝達手段を使って何を言っても政治家としては自由であるかもしれませんが、

「行革の流れにのっとり、3つの保健所を整理統合し1つの保健所としたのか」、

あるいは、「区の独自性をだして、全国で初めてともいえる、保健福祉センター構想を打ち出し、行革の流れに反してでも、3か所の保健所を5か所の保健福祉センターに作り替えたのか」、ということは、地域行政の観点から、全く相反する立場です。

あの当時の職員の努力、議会の論議は何であったのでしょうか。

このどちらかであるか、区としての公式見解を求めます。

 

今の区は、あまりにも決断が遅いです。

さらにコロナ対策で新しい独自の取り組みが見られません。

保健所の3台の電話問題では、回線を増やす、3台を6台にするだけのことで10日間もかかる、これは行革の影響でもなんでもなく、組織運営の未熟さそのものです。

会議に次ぐ会議で全く、管理職に連絡が付きません。

この一か月間、管理職職員は、会議か在宅勤務かという状態で、非常時、緊急時とは思えませんでした。

350年前のロンドン市とは雲泥の差です。

危機管理の本質は予見です。

地域、現場にいればこそ、予見できるのです。

緊急時体制は、本来業務体制とは別のもので、緊急時対応ごとに、組織体制を動かしていたら、本来の仕事ができなくなる、まさに対処療法行政です。

すべての区職員は、原則として、地域にいるべきです。

なぜなら区民は地域にいる。区民は本庁にはいないからです。

庁舎建設担当は、職員一人当たりの事務スペースの拡大だけを考え、区としては、職員の3密体制解消のために在宅勤務を行う指示を出す一方で、区民3密現場の窓口職員は悲鳴を上げる。

一体、組織とは何でしょうか。

なぜ今の区は、このように決断が遅く、更に、対処療法で物事を乗り越えようとするのか、その原因は何か、伺います。

 

以上で壇上よりの質問を終わります。

 

ー再質問-

区民は、地域にいます。職員も、もちろん地域にいます。

危機の際は、その地域の職員の能力を区民のために、区長の指示により効果的に活用するのが正しい対応と考えますが区長の考えを問います。