- ホーム
- みなさんご存知ですか
- 世田谷区の『地域行政』について -2-
世田谷区の『地域行政』について -2-
前回は、世田谷区の主な歴史について、振り返りました。今回は、「地域行政」がスタートするまでの経緯を、歴史を踏まえながら説明します。
地域行政の検討を開始
昭和50年の中頃には、世田谷区は、人口や面積が23区の中で、一番大きな自治体になっていました。
当時の区の組織は、本庁、2支所、24出張所など規模が大きくなり、組織の縦割りの弊害が目立つようになってきました。例えば、関係する組織の連携が欠けたり、地域の情報の収集や区民のみなさんへの情報提供で改善が求められたりするなど、区民は、区政が見えにくく、また、区政にも参加しづらくなっていました。
こうした中、地域に密着した施策、質の高いサービス、地域コミュニティの支援、街の整備、地域福祉の充実など、区が抱える様々な課題を解決するためには、区民の近くで、地域の実情にあった行政サービスを提供することが必要となっていました。そのために区は、専門の組織を立ち上げ、地域行政の検討をスタートすることとしました。
昭和54年には、地域行政の基本的な考え方がまとめられ、地域住民に密着した総合的な行政サービスと地域の実態に合ったまちづくりを展開し、区民の区政への参加を進めるため、地域行政の実現をめざすこととなりました。
地域行政の実現をめざして、区役所本庁と出張所(現在は出張所とまちづくりセンター)の間に、大幅な権限を持つ「地域事務所」を設置することとし、きめ細かく事業を展開するために、区内を「世田谷」、「北沢」、「玉川」、「砧」、そして砧から分割して北沢の一部を加えた「烏山」の5つの地域に分け、それぞれに地域事務所を置くこととしました。この地域事務所は、後に「総合支所」となりました。
地域行政の幕開け
地域行政を進めるために、区民に最も身近な地区の課題は出張所(現在は、出張所とまちづくりセンター)が、地域の課題は総合支所が、区内全域にわたるような課題は本庁が担うこととし、それぞれの役割に応じて業務を行い、互いに連携・協働して役割を果たしていくこととしました。こうして三層による地域行政のネットワークが整備されました。
地域行政の検討にあたっては、区の組織だけでなく、区議会や区民等も一緒になり、10年以上もの長い年月をかけて議論を積み重ね、平成3年4月、ようやく地域行政がスタートすることになったのです。
地域行政のより一層の充実をめざして
地域行政のスタートにあたっては、10年以上もの歳月をかけ、丁寧に議論を行ってきました。その後も、時代の流れや地域社会のあり方などを踏まえ、様々なかたちで見直しを行ってきました。
地域行政の本質は、区民に身近なところで、きめ細かなサービスを提供し、区民が安心して区政に参加できる「区民が歩いて暮らせるまちづくり」にあります。
現在、区では、総合支所や出張所等のあり方を見直し、平成29年度に総合支所に「総合窓口」を創設することで検討が進められていますが、これは、本当に区民の信頼を得て、区民が必要とするサービスを身近なところで提供できるものなのでしょうか。
私は、今後も、「歩いて暮らせるまちづくり」の視点から、地域行政のより一層の充実に力を尽くしてまいりますので、皆様の応援をよろしくお願いいたします。