- ホーム
- たまてばこ
- エッセイ・お手紙など
- 「歌のチカラ」
エッセイ・お手紙など
「歌のチカラ」
私は子どもの頃からよく歌をうたっていました。うたい過ぎて次の朝、声が枯れていたことがあって笑われたこともありましたっけ。
2005年、母がホームでお世話になり始めた頃、みんなで歌ったら楽しいのでは、と思い立ったのがきっかけで、「歌とおはなし」のボランティアを始め、ちょうど10年になります。コツコツと回を重ね、750回を超えました。「歌のチカラ」に圧倒されています。
童謡からなつメロまで、7、8曲でしょうか、「ここはカーネギーホールですよ」「帝国劇場ですよ」と盛り上げながら一時間、楽しい時間が過ぎていきます。最後は必ず、「りんごの歌」をうたいます。昭和20年の曲です。その当時は、ラジオでした。歌手の並木路子さんは、レコーディングの時も満面の笑顔でうたい続け、電波に乗せて笑顔と歌を届け、大ヒットした曲と聞いたからです。ある日の出来事です。いつもの通り、最後に1番を2回うたい終えた時のことです。突然おばあちゃんが私のところに歩いてこられたのです。「私は今、100歳です。満州からの引き揚げ者です。船の中では不安でいっぱいでした。舞鶴の港に着いた時、歌が聞こえてきました。「りんごの歌」でした。なんと明るい歌でしょう。日本はいい国だ。この国でならこれから頑張って生きていける。と思えたのです。嬉しい忘れられない歌です。ありがとう。と言われたのでした。私は、改めて皆さんにこのことをお話しし、おばあちゃんの「りんごの歌」を共感し合ったのです。歌のチカラを感じた瞬間でした。私は750回もりんごの歌をうたっていますが、「笑顔は世の中を明るくし、まわりを幸せにする」とりんごの歌から学びました。
3年前の5月、ロスの日本人学校に数日、お手伝いに行った最終日、日本人老人ホームを訪ねました。陽がサンサンと入る平屋の明るいホームで、日本人とメキシコの方々がお世話をされており、鯉のぼりやお習字の作品が飾ってあり、お庭もきれいに手入れが行き届いてお花がいっぱいでした。広いホールに多勢の方が待っていてくださいました。ほとんどの方が車椅子でした。お手玉をたくさん用意して伺ったのですが、お手玉のできる状態の方は少なく、これから1時間、歌しかないと思いました。「みなさんこれからご一緒に懐かしい歌を歌いましょう。まず最初はなんの歌にしましょうか」。「ふるさと」と誰かが言いました。次々にふるさとの声が小さいけれどしっかり広がりました。ではふるさとを歌いましょうね。「うさぎ追いしかの山〜」。驚きました。歌詞カードもないのに、3番まで全員で歌いました。声の大きい人、小さい人、口の少ない人・・・。私には聴こえました。平均80歳後半です。涙が出ました。2番目に歌いたいのは「富士山」、3番目は「夕焼け小焼け」でした。帰りたくとも変えることのできない故郷、日本を思いながら歌い通した1時間でした。「歌のチカラ」のはかり知れない深さと優しさに立ちすくみました。
遠いロスに思いをはせ、お元気でお過ごしくださることを祈るばかりです。