エッセイ・お手紙など

オリンピックのおもてなしにお手玉を

お手玉遊びは、奈良時代、今から約千三百年前に、当時交流が盛んであった中国から入って来ました。遊び方は「拾い玉」と「ゆり玉」でモノは石でした。今も兵庫県大町町に「石なご遊び」が残っています。遊びが全国各地に広まると同時に、名称もその土地によって名付けられ、現在では三百位あるといわれています。私は山形県の置賜(おきたま)地方の出身で「つかつか」と言っています。お手玉をゆると「ツッカツッカ」と音がするからでしょうか、面白いですね。

現在は全国共通で「お手玉」と呼ばれていますね。これは明治政府が教科書にのせるために統一ことばとして作ったものです。「お手玉」。いい名前です。その一方で、地域ごとの昔ながらの名称も残していくことがとても大切なことです。多いに使っていきましょう。

お手玉の歴史は、日本では千三百年位ですが、三千年程前にギリシャ地方で羊の後足の距骨(動物の足の骨)で遊んでいたことが、シルクロードを通ってアジアに、そして全世界に広がったのです。日本にも海を渡って入って来ました。

子どもは遊びの天才です。大自然の中でのびのびと遊んでいた子どもたちにとって、木も花も石も全部宝物だったに違いありません。その宝物の中に距骨がありました。それが「拾い玉」「ゆり玉」の遊びになっていたのでしょう。材質としてピッタリだったのですね。

遊びは世界中にどんどん広がりましたが、その国の特産や文化によって形や材質はさまざまです。

日本では初め石でした。その後、細かい石を布で包みました。布のお手玉は、私の知る限りでは日本だけです。

時代と共に、かます型、俵型、まくら型等がつくられ、江戸時代には四枚ばぎの座ぶとん型と発展し布の美しさも楽しみました。今ではなんでもお手玉になって、おみやげ屋さんに並んでいます。

お手玉の中に入れる物も石ではなく、あずき、大豆、じゅずご、えごの実、鈴、コハゼ等とさまざまで音も楽しんでいます。これも他国にはないことです。私はお手玉を通しても日本人はなんて素晴らしいんだろうと思います。

テレビやゲームの普及によって、お手玉は子ども達の遊びから消えてしまいましたが、今また、見直されています。

なんといっても「お手玉」そのものが「やさしい」ものであること。ひと昔前は、おばあちゃんから孫へと伝えられた遊びです。「手ざわり」も「心ざわり」もやさしいのです。

笑顔で数えながら歌いながら、しかも両手を使ってゆるのです。落としてもお手玉はころがりません。笑って拾います。だんだん上手になって嬉しくなります。楽しくなります。心も体もポカポカです。

体にも精神的にもお手玉が大変良いことが分かってきました。コミュニケーション・認知症の予防・心の病の治療等にも使用され注目されていて、さらに、お手玉のやさしさを通して子ども達の集中力を養う学習にも使われています。

「たかがお手玉、されどお手玉」です。手から手へ、ぬくもりを届けて下さい。どうかお手玉を楽しんで下さい。

私には大きな夢があります。それは東京オリンピック・パラリンピックで会場いっぱいの子ども達で日本のうたに合わせて、お手玉をゆり、日本のお手玉の文化を世界に発信することです。子ども達の笑顔を世界にも発信したいのです。

特に世田谷の馬事公苑が会場になります。緑の芝生に青い空。そこに美しいお手玉が舞い踊る。わくわくします。

もうひとつは世界共通の遊びであるお手玉遊びを通しての文化交流です。

夢が夢で終わらないように、行動を起こしたいと思っています。