エッセイ・お手紙など

日本の素晴らしい文化、お手玉を世界中の人々に見てもらえる絶好のチャンスです

オリンピックのおもてなしにお手玉を

みなさんは子どもの頃、どんな遊びをしていましたか。私は、昭和18年生まれですので、今とは大違い、男の子はチャンバラごっこ、女の子はお手玉や、まりつきでした。あの頃、ちょっとの時間でも、二つゆり、三つゆりと競ったことが、今でもとても楽しい思い出になっています。

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オリンピックのおもてなしにお手玉を

オリンピックのおもてなしにお手玉を

私には大きな夢があります。それは東京オリンピック・パラリンピックで会場いっぱいの子ども達で日本のうたに合わせて、お手玉をゆり、日本のお手玉の文化を世界に発信することです。

子ども達の笑顔を世界にも発信したいのです。

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「殿山横穴墓群」発見に思ったこと

歌のチカラ

昨年の夏、我が家から直線で250mの所、東名ジャンクション建設工事現場から17基の横穴墓が発見されました。今から1300〜1400年前の古墳時代の物で、「殿山横穴墓群」(とねやまおうけつぼぐん)と名称され、人骨とともに立派な刀や須恵器、首飾り、鉄の矢じりが出土し、びっくり仰天しました。

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「歌のチカラ」

歌のチカラ

私は子どもの頃からよく歌をうたっていました。うたい過ぎて次の朝、声が枯れていたことがあって笑われたこともありましたっけ。

2005年、母がホームでお世話になり始めた頃、みんなで歌ったら楽しいのでは、と思い立ったのがきっかけで、「歌とおはなし」のボランティアを始め、ちょうど10年になります。コツコツと回を重ね、750回を超えました。「歌のチカラ」に圧倒されています…

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“たま子先生のレッスン" from Y子

私が、たま子先生に出会ったのは、今から40年ほど前…。

「政礼さんのお嫁さんになる人はピアノの先生なんだって。」

子どもながらに、そんなうわさを耳にした。気がついたら、子ども達でぎゅうぎゅうのレッスン室でドキドキしながら、順番を待っていたのを覚えている。皆、たま子先生が好きで、そのレッスン室はいつも一杯だった…

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たま子とお手玉

私とお手玉の付き合いは幼少の頃に遡ります。山形の冬は雪深く、外で遊ぶ事ができない為、近所の女の子たちが誰かの家にみんなで集まり、幼い子からお姉さんまで一緒になって遊びました。今思えばそこで人との付き合いや人間関係、社会性というものを学んだような気もします…

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『たま子歌クラブ』レポート

〜お年寄りの元気な歌と笑い声が聞こえる〜

小泉たま子さんは『たまこ歌クラブ』と称して、老人ホームや介護施設を訪れ、歌とおしゃべりのボランティアをしています。「お年寄りを元気にしたい」と2005年から始め、2010年までの6年間で開催はなんと452回を数えました。平均してみると1ヶ月に6回以上行なってきた事になります。定期的に訪問する施設はどんどん増えていて、今では20ヶ所にもなるそうです。

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